カルテットを見ると語りたくなる理由。
私たちは分かりやすいドラマに慣れてしまっている。
登場人物はみんな総じていい奴で、悪い奴は決まって分かりやすく悪い。
恋に落ちた瞬間はBGMが流れてるし、スローモーションになったりする。
心の声は何故か音声になって公共の電波で垂れ流されるし、失恋したら雨が降る。
傘持ってなくてもコンビニで買うなんて野暮なことはせず、ズブ濡れでとぼとぼ歩く。
街で何度も意中の相手と出くわすし、たまたま相手が他の異性に抱きつかれた瞬間ももちろん偶然見てしまう。
電話が切れたの分かってるくせに「もしもし!?もしもし!?」って叫ぶ。
約束の時間になっても無視を決め込むくせに、何時間も過ぎてから待ち合わせ場所に駆けつける。
そして大抵相手はいる。
友達は最高だし、家族はもっと最高。
お金はなくても、夢され持ってれば大体成功する。
現実では隣にいる人の気持ちはおろか、自分の気持ちさえよく分かっていないけど、ドラマの主人公はペラペラと心の中でも饒舌で、分かりやすく状況を説明してくれる。
心で説明しない時は「つまり、○○ってわけね」と代弁してくれる友人がいる。
大体キャストの最初とその次に名前出てきた二人が結ばれるんだろうし、三番目や四番目に出てきた相手と結ばれるなんてことはまずない。
「この人はこの人が好きですよ」って、BGMや心の声やスローモーションやオルゴールの音色などなど、あらゆる合図で私たちに説明してくれる。
そういった演出がドラマというフィクションの楽しいところで、ハラハラドキドキしているつもりで実はどこかで安心して見ている。
難しいことを考えなくていいから楽なのだ。
例えば『東京たられば娘』なんて分かりやすさの権化みたいなもので、恋に落ちた瞬間はCGでハートの矢が胸にバンバン突き刺さるし、失恋したら被曝する。
言っておくけどdisじゃない。楽しく見てます。
分かりやすいドラマは最高。娯楽はこうでなきゃ。
ところが坂元裕二の脚本はこういったドラマの世界の常識をくつがえしてくる。
「東京ラブストーリー」ではリカが待つ駅にカンチが走り出した瞬間、誰もがワンチャンを確信したがリカは一本前の電車に乗って去ってしまい、結局カンチは数年後にはか弱くてすぐ泣く女と結婚した。
私はこのドラマで、人生で初めてラブストーリーに裏切られた。
大変ショックを受けたのを覚えている。
「最高の離婚」では、離婚した夫婦が何やかんやで再び絆を取り戻すけど、その後のSPドラマのラストでは結局分かり合えずに妻は実家に帰ってしまった。
カルテットでは更に演出が削りに削られている。
余命9ヶ月のピアニストと親しくなる。その男は小さくてボロい家にひっそり住んでいた。
しかし、その男が仕事ほしさに余命9ヶ月と嘘をついていることに気付いた巻(松たか子)はあっさりとそのことを密告し、仕事を奪う。
別府(松田龍平)の友達以上恋人未満のような関係の同僚は想いを寄せながらも密かに婚活をして、タイヤの話をするような退屈な男と結婚する。
父のせいで人生を狂わされたすずめ(満島ひかり)は、年老いてすっかり丸くなった父が病院で最期を迎えても許すことができず会いにすら行かなかった。
普通ドラマだったらその選択肢は選ばないよね、ってカードをことごとく選んでくる。
ドラマなら最期はどんなに憎んだ相手でも家族だったら許すし、結婚式で想いを寄せてる男性から二人の思い出の曲をアドリブで奏でられたら、ドラマティックが行き過ぎた場合、最悪一緒に教会抜け出してしまう。
しかし、現実にそれができる人の方がきっと少ない。
4人が何を思って誰を好きなのか、本当は何を隠してるのかが全く分からない。
2話で別府は巻を、すずめは家森(高橋一生)を好きだと言った。
でも恐らくすずめは別府の気持ちを吐かせるための嘘で、実際は別府が好きなのだろう。
突然キスをしたくらいだから恐らくそうだろうと思うけど、心の声はやっぱり出てこないので確信は持てない。
家森は自分の元妻に会うのに、すずめに恋人のふりを頼む。
「こういうのは巻さんの方がそれっぽいんじゃ」と言うすずめに、「茶馬子は俺を知ってるからね」と返す。
特にBGMがなったり効果音が入ったりしないので聞き流しそうになったが、それはつまり、家森がすずめのような子がタイプだということを間接的に伝えている。
このドラマで特にキーになってるのが、松たか子演じる巻が旦那を殺したのかどうか、になるが、すずめは自分の気持ちを救ってくれた巻を信じたい。巻が殺すはずない。
私たち視聴者はすずめの視点でドラマの世界を見てるので、おのずと「そうだね、巻が殺すはずないよね」って思えてくる。
そんな矢先、家森の爆弾発言「巻さんの旦那さんが言ってたんだ。俺、ベランダから落ちたんじゃなくて妻に突き落とされたんだよね」の一言で私たちの世界はひっくり返ってしまった。
伏線なのかな?と思う部分はあるが、「今ヒント出してますよー!!」と説明してくれるわけではないので、うっかりすると見逃してしまう。
視線と言葉の端々だけで感じ取るしかない。
現実だってそうだ。
誰の心の声も聞けないし、誰も嘘をついてないように見えるし、逆にみんな嘘をついているようにも見える。
些細すぎるヒント、それが本当にヒントなのかも分からないような情報の欠片をかき集めて考えなければならない。
スマホの盗み見。
脱ぎっぱなしの靴下。
落とした眼鏡。
トイレのスリッパ。
線香の匂い。
捨てられないゴミ。
だから誰かに話したくなる。
誰かに「今のもしかしてそうじゃない?」って確認したくなる。
このドラマは答えを教えてくれないから、誰かと答え合わせをしたくなる。
坂元裕二のドラマは難しい。
楽に見るなんてとんでもない。
視聴率が思わしくないというのも確実にそのせいだと思う。
分かりやすいドラマに慣れてしまった視聴者が離脱してしまうんだろう。
録画をして、じっくり見返しながら考察することをおすすめしたい、そんなドラマなのだ。